成長する新人

今日のテーマは”成長する新人”である。

いろんなパターンがあるとは思うが、才能とかによらずに再現しやすい方法を取り上げようと思う。
かくいう私もセンス系ではないが、これまでの社会人生活でいくつもの難局を乗り越え、今では200人月規模のプロジェクトを回すほどまでには成長してきた。そんな私の思う成長のコツを紹介していく。

ポイントは簡単である。
・とにかく試行回数を増やす
・一回一回の試行においてできるだけ本気で取り組む
これだけである。

とにかく試行回数を増やす

これは簡単な話で、どれだけ失敗したとしても、それを補って余りあるほどの成功を積み上げることができたらいい話なので、とにかくたくさん試行することが重要であるということだ。

新入社員時代に研修で教わって今でも覚えているのが、「打率ではなく安打数を重視せよ。安打数を伸ばすためにはとにかく打席に立つことだ」という考え方である。

これは結局試行回数を増やすということと同義なのだが、要は3回やって2回うまく行った(打率6.7割)よりも、10回やって5回上手く行った(打率5割)方がいいよね、ということである。

打席に立たなければ失敗して打率を下げるリスクはないかもしれないが、ヒットを打つこともできない。打席に立たないと、一生ヒットを打つ感覚を体得できないかもしれないのだ。
あと、新人にそもそも打率なんて求めてないので、失敗が許されるときにたくさん失敗しておいて、痛みを伴いながらも失敗の中からヒットを打つコツを学び取ることこそが大事なのである。

センスがいい奴はそんなにたくさん打席に立たなくてもヒットを打つコツを覚えるから、さほど多く打席に立たなくても高打率でヒットを打ち、結果として安打数も増えていく。だったら、私のようにセンスのない奴はセンスのいい奴と同じかそれ以上だけヒットを打てるように、打席数を増やすだけなのである。

一回一回の試行においてできるだけ本気で取り組む

たくさん失敗するということだけ考えていると、とにかく何でもかんでも手を挙げて、闇雲にがむしゃらにやって、結果やりきれませんでした、嵐ということになる。

失敗をすること自体は悪ではないのだが、いい加減な失敗は身にならないからダメだ。

私の好きな漫画で『宇宙兄弟』という作品があるが、主人公の名言で「本気の失敗には価値がある」という言葉がある。この言葉が私は大好きだ。

本気で考えに考えて、いろんな準備をして、いざやってみたら上手くいかなかった、ということがあったら、人は「あんなに考えて準備したのに、なぜ上手くいかなかったのか」とショックを受けるだろう。でも、失敗したからには何か原因がある。(ついでにもう一つ好きな言葉で「負けに不思議の負けなし」という言葉も紹介しておく。野村監督の言葉だったとか)
本気で取り組んだのに失敗したら、その失敗の原因にも強い関心が向くだろう。そうすると、その失敗の痛み、恥ずかしさ、悔しさ、それらを代償として得た学びは自身の中に深く刻まれることとなる。そこにこそ価値があるのだ。

いい加減な失敗は身にならない、と書いたが、何でもかんでも手を伸ばして訳もわからず失敗しました、となったらその後にはほぼ何も残らないからダメなのだ。

なので、打席数をとにかく増やす意識は常に持つべきなのだが、立った打席では絶対にいい加減に振るのではなく、その場のできる限りの本気をぶつけるのである。

結局言いたいこと

煎じ詰めると、量も質も限界まで上げてとにかく経験を地肉にしようねということを言っていて、何の作戦もない根性論に聞こえるかもしれない。

ただ、センスのない奴が力をつけるには、必死に努力するしかないのであり、努力の指針が明確になるだけで十分ということもある。実際私も社会人生活始めてから今まで −もはや新人とは程遠いほど時間は経ったが− できるだけ多くの打席に立ち、できるだけ本気をぶつけることをやってきて、センス系の奴らに太刀打ちしてきた。(自分がセンスないとここでは散々言っているが、同僚の前ではそんな無駄に遜ったりはしない。驕ることもないが、変に謙遜して失敗した時の保険を張るのもダサいと思ってしまうからである。)

そんな私でもそれなりの成長を遂げたことを鑑みても、このやり方が一番泥臭いけど確実に成長できる方法だ、と胸を張って言えると思うのだ。

そして、最近始めたこのブログ開設という試みもまた、私にとっては新たな打席なのである。
(荒削りな文章を全世界に晒し続けてでも、打席に立ち続けることでライティング技術を洗練させていくのである)

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